昔からある「三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)」の教え。
これまでは「悪事に関わらないための戒め」として教わることが多かったはずです。
でも最近、私はこの言葉を、もっと能動的で、自分を幸せにするための「人生の戦略」として捉え直しています。
情報過多な令和の時代。
AIが溢れ、他人の評価やノイズが四六時中飛び込んでくる世界で、どうやって自分を守り、自分らしく生きるか。
その答えが、この古くからの知恵の中に隠されていました。

1. 現代版「情報の断捨離」という戦略
もともとこの言葉は『論語』にある「礼に非(あら)ざれば見るな、聞くな、言うな」という教えに由来します。
現代風に言うなら、それは「自分にとって不要なノイズを、自らの意志で遮断する」というポジティブな防衛術です。
他者の悪意や、自分を不安にさせる負の感情。
これらを意図的に遮断することは、決して逃げではありません。
限られた自分の「心の資源」を、本当に大切なことにだけ注ぐための、賢い選択なのです。
2. 「羞恥心」を捨てた先にあったもの
今年、私は「羞恥心を捨てる」と決めました。
そのプロセスの中で気づいたのは、これまでの自分が「誰かにどう見られているか」ばかりを気にしていたということです。
それは、自分の人生の主導権を他人に握らせていたのと同じでした。
「三猿」を実践するようになってから、驚くほど心が軽くなりました。
-
見ない: 自分に不要な情報や、心穏やかでいられない相手の動向をあえて見ない。
-
聞かない: 他者の無責任な評価や、心を乱すノイズを耳に入れない。
-
言わない: 不必要な感情をぶつけず、内面の揺るぎなさを育てる。
この「境界線」を引いたことで、外部に向けられていた過剰なエネルギーが内側に戻り、結果として自分自身の人生を生きる余裕が生まれたのです。
3. 「評価の呪縛」から解放されるということ
周りの視線を気にする「見られる対象」から、自分の意志で選ぶ「主体的な存在」へ。
この転換こそが、私の毎日をハッピーにしてくれました。
「もっと強くなろう」と力んでいた頃よりも、自分を大切にし、自分という境界線をしっかり持っている今の方が、ずっと遠くまで歩いていける。
そんな気がします。
【まとめのメッセージ】
「自分の心を守ることは、自分を愛すること。」
「見ざる・言わざる・聞かざる」は、決して社会からの孤立を意味するものではありません。
むしろ、自分自身を正しく守ることで、結果として大切な人や仕事に、より純粋なエネルギーを注げるようになるためのツールです。
「これがいい!」
今日も、明石・神戸の街で。
他人の評価に惑わされず、自分の人生の主導権をしっかりと握りしめて。
今日もまた、素直に、明るく、朗らかに歩いてきます!
2026年6月16日〈94〉

