明石から神戸にかけての街を、毎日ひたすら歩き続けて5年。
40,000歩という距離は、ただの運動量ではありません。
それは、この街の「今」と、そこで暮らす人々の物語を誰よりも細かく刻み込む、
私だけのタイムトラベルの記録です。

1. 更地が語る、歴史の幕引き
最近、古く趣のある民家が取り壊され、更地になる光景をよく目にします。
「いつも季節の花が咲いていたな」
「軒先の造りが綺麗で、通るたびに足を止めていたな」。
そんな記憶を辿りながら、まっさらになった地面を眺めます。
ひとつの建物が消えることは、そこで営まれてきた幾十年もの暮らしや歴史が幕を閉じること。
更地を前にすると、胸の奥がしんとして、「寂しいな」という言葉が自然と零れます。
2. 「いってらっしゃい」の笑顔が消えた場所
そして、建物そのものよりも何倍も寂しさを感じるのは、
そこにいた「人」の気配がなくなったときです。
いつも玄関先で会う、80歳を超えた笑顔の素敵な小さなおばあちゃんがいました。
通りかかるたびに「頑張ってね」「いってらっしゃい」と、
いつも温かい笑顔を向けてくれていた。
その言葉にどれだけ励まされたか分かりません。
ある日その前を通ると、そこには「空き家」の看板が。
3部屋あったアパートは、おばあちゃんがいなくなってから、
とうとう全て空き家になっていました。
おばあちゃんはどうされたのか。
引越されたのか、体調を崩されたのか……。
真相は分かりません。
ただ、そこを通るたびに、今もあの「いってらっしゃい」という笑顔が鮮明に蘇ります。
街の移ろいとは、単なる風景の変化ではなく、
私たちが受け取っていた優しさの記憶が一つずつ消えていくことでもあるのだと、
改めて教えられます。
3. 街の記憶を「歩く」ということ
あのお店がなくなった。あの人がいなくなった。
そんな小さな変化の積み重ねを、私はこの足で毎日見届けています。
街は生き物のように代謝を繰り返していますが、その風景の裏側には、
無数の「かつての暮らし」や「交わされた言葉」が埋まっています。
寂しさはあるけれど、だからこそ、今こうして出会えている人、
今こうして挨拶を交わせる温かさを、もっと大切にしたい。
そんな風に思います。
【まとめのメッセージ】
「今日歩いたこの道も、数年後には違う景色になっているかもしれない。」
だからこそ、今日この街を歩くこの時間を、もっと大切にしたい。
街の記憶を背負いながら、今日も私は歩きます。
「これがいい!」
今日も、明石・神戸の街で。
タイムトラベラーとして、出会った笑顔と街の姿を胸に焼き付けながら、
一軒一軒、丁寧に歩いてきます!
2026年6月12日〈90〉

