「なんでなんや!」
かつての私は、よく心の中で不貞腐れていました。
外で露骨に態度に出すわけではないけれど、心の中は完全にやけっぱち。
「こんなに頑張っているのに」
「どうして自分ばかり」。
そんなふうに心が腐ってしまう瞬間が、何度もあったのです。
でも今なら分かります。
あれは怠け心でも性格の悪さでもありませんでした。
本当は「誰かに認めてほしかった」「報われたかった」。
それほどまでに、真剣に生きていたからこその悲しさであり、悔しさだったのです。

1. 「強さ」よりも「付き合い方」
脱サラして5年。
今年になって、ようやく心が安定してきました。
人生を豊かにするのは、自分を厳しく律して「もっと強くなること」ではなく、
「自分自身との付き合い方を変えること」
だと気づいたからです。
今、私が日々の仕事の中で意識しているのは、こんなシンプルなことばかりです。
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常に笑顔でいることを忘れない
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余計な羞恥心を捨て、今の自分を認めて喜ぶ
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何よりも、素直で、明るく、朗らかであること
どれも特別なことではありません。
でも、50代半ばになってようやくたどり着いた、
とても深い人生の答えだと感じています。
2. あの頃の「不貞腐れ」は、必要なステップだった
振り返れば、不貞腐れていた頃の自分も必死でした。
だから、あの頃の自分を否定する必要なんてないのだと思います。
以前の私は、投函不可の看板一つに「クソっ」と苛立ち、
自分の思い通りにならないことに腹を立てていました。
でも、今は「教えてくれて助かります!」
と、障害さえも肯定的に受け取れるようになった。
不貞腐れていた時間も、必死に街を歩いた時間も、
すべてが今の自分を作るための材料でした。
あの時間があったからこそ、今の「笑える自分」があるのです。
3. 「今の自分で、ええやないか」
ようやく私は、鏡の中の自分や、心の中の自分に対して、こう言えるようになりました。
「今の自分で、ええやないか。」
過剰に何かを求める必要はない。
自分の今の場所、自分の今の動き、自分の今の笑顔。
それさえあれば、人生は十分に美しい。
【まとめのメッセージ】
「自分を許せたとき、街の景色も優しく映る。」
今日もまた、笑顔で街に出ます。
不貞腐れることを卒業して、ようやく本当の意味で、
この明石・神戸の街を歩くことができている気がします。
「これがいい!」
明るく、朗らかに、素直に。
それが今の私の人生の極意です。
今日も一日、大切に歩いてきます!
2026年6月14日〈92〉

